植野が斬る!

新たな要請

1.はじめに  

苦節5年も過ぎたころ、富山市からの招聘があった。この時悩んだのは、富山にはあまり縁がない。行くことになれば単身赴任である。57歳での単身赴任はつらいものがある。何よりも愛ネコのミーと離れて暮らすのがつらい。
大体こういう話は、伸びる可能性が大であるのはこれまでの経験で分かっていた。(結果的に、3年が6年になり、いまだに関係は継続)それで、お断りした。
3度断ったが、 どうしてもという。それで富山市に行くことになった。
今回はその辺から話す。

2.NHKスペシャル

面倒なことには関わらないと決めていた。
のんびり暮らしていると、NHKスペシャルで「日本のインフラが危ない」という番組をやっていた 。そこでは浜松市と富山市が自治体の代表みたいな形で出ていた。
土木学会の小委員会のメンバーが両市に行った際の映像が流れ、厳しくて有名なTさんが「だから自治体はだめなんだ!」と言いながら点検用ハンマーでコンクリートを叩いていた。「こんな風にTVでやられると大変だなあ」と感じながら放送の翌日、昔から付き合いの深い副市長に電話した。
「大変ですね」というと「そうなんですよ、実は相談したいことがあるので、一度お会いできないか?」ということになった。日程を調整して会うと、ペーパーを見せられ「今こういう構想をしているんです」と言う。中身を見ると「富山市における新たなインフラの専門官の導入計画」であった。「良いんではないでしょうか。官庁にはインフラの専門家はいないですからね」と言うと「そうでしょう。実はあなたを招聘しようと思っている」ということになり「ええ!私ですか?私には無理でしょう。もっと優秀な方はたくさんいる」と言うと「いや、これはあなたでないとダメなんです。インフラ、特に構造物が良くわかっていて、民の経験もあり官の経験もある人間で、霞が関にも詳しい人間が必要なんです」と言う。
「私は富山に縁もゆかりもないし、家もない。かなりつらい。もっと優秀な方がいるのではないか?」と言うと「構造物に詳しい人間で、民の経験がある方はいるが、官の経験そして霞が関となると、植野さんしか探してもいない」ということで押し問答の末断ったが、その後もしつこく言ってきた。
この三顧の礼に対して、敬意を表し引き受けた。そして、東京での活動を整理し富山に乗り込んだわけである。

3.乗り込み準備

身辺整理はもちろんのこと、その後の取り組みをスムーズに進めるため、戦略を立て実行した。 限られた時間だったため、事前に計画しスムーズな導入と実施を図った。

①富山の基本的情報
人口、構造物の概要、地形、地質、住民性、近隣自治体、富山県庁、富山河川国道事務所、有力民間企業 など

②調査
地元企業(コンサル、建設業)のレベル、県庁の思考とレベル。 歴代土木部長を訪ね、挨拶かたがたアドバイスを受ける。近隣大学の調査(これにより地元の技術力の把握)

③マネジメント手法の立案
⇒これがその後「富山市橋梁マネジメント基本計画」となる

④具体的施策の立案
橋梁トリアージ、セカンドオピニオン、補修オリンピック、新技術の導入展開、 モニタリングシステム など

この中で、大学調査は挨拶を装い訪問し、実験室などを見学した。実験室などを見ることは、各大学の実力の把握につながる。同時に学生のレベルも想定できるからである。これによって、市の職員や県の職員、地元企業の社員のレベル、技術力を把握することが出来た。
評価するのは学側だけではない。こちら側も相手を選ぶ権利はある。東京での活動においては、金沢工業大学のM先生などは有名で一緒に委員会などをやっていたが、実は他の大学はあまり付き合いがなかった。
富山大学は、私が赴任した当初、土木系の学科はなかった。 何か企て(プロジェクト、事業 等)を実行しようとするときには、綿密な事前準備が必要であるということ。
これは、マネジメントの基本である。

4.富山に赴任(乗り込み)

2013年4月1日、富山市役所に着任した。
まあ、最初は右も左もわからずに様子見であった。すると「4月11日から会計検査が入るので対応もよろしく」と市長から言われた。対応した職員からの報告では、3件再確認案件となったという。
1件ずつ担当と確認し、そのうちの2件は「明日の調査官への説明を、こう言い換えてみろ」と指示をすると、それで納得が得られた。
しかし1件だけは、なかなか難しかった。要は計算が間違っていた。コンサルを呼び確認すると、わけのわからない説明の挙句「ソフトでやりました」としか答えない。その繰り返し。
手計算で当たるとテールアルメのストラップ長が足りない。間違いだ。その説明を求めたのだが・・・
その繰り返しにうんざりした私は「そんなこと聞いていない。どういう計算手法でやったら今回の結果が出たのか?」とかなり大きな声で言ってしまった。
それでも「ソフトでやりました」なので、「もういい加減にしろ、どういう計算をしたのか聞いているんだ。お前がわからないならわかる奴を連れて来い」と怒鳴っていた。それまでザワザワしていた執務室が一瞬、シ~ンと静まり返った。
「あぁやってしまった。最初から」と反省したが既に遅し。
しかし、職員の一人が寄ってきて「ありがとうございます。あそこの会社、今までもダメで怒りたかったんですけど、自信がなくて怒れませんでした。今ので、ス~ッとしました」と言われた。この件についてはコンサルを相手にせずに解決したが、解決後に市長に言われたのは「着任早々、3年分働いていただきました」
会計検査報告書に載れば、数千万円の返還が必要だったのだ。そう、それが最後までひっかかり、この言葉で私は「この市長、わかっているなあ!」と感激した。
しかし当事者のコンサルの担当者は「植野は何もわかっていなかったので、土木研究所に話を通して解決した」と周囲に吹聴していた。
こういう話も全て私のスパイから聞こえてくる。常識的に考えて、地方の民間コンサルが土研に直接相談できる訳もなく、相手にされない。それすらわかっていない会社である。
私はどこに赴任しても大丈夫なように、昔から全国に自分の情報屋、スパイ網を作っている。これが結構役立つ。もちろん主要な個別の企業にもである。そんな波乱の幕開けで、私は地元コンサルを疑い、職員の技術レベルアップに努めることになった。
実は、私は40代くらいから上司の関係で、土木研究所等と会計検査院の職員講習や土研に寄せられた会検の指摘事項に対する回答を考えることもやっていた。これは知る人は知っていた。その後地元のコンサルなど業者には疑いの目をもってあたるようになってしまった。
30年ほど前に大臣官房からの依頼で「北陸3県は会検による指摘件数が他地域よりも多いから調査しろ」という指示を受けて調査したことがあった。30年経っても是正はされていなかったようだ。その事もあり常に疑いの目をもって業務を監視することになり、地元業者からは「悪代官」と陰で言われていた。
そういう話は、面白いことに必ず本人に伝わる。悪代官結構!
しかし、賄賂を要求するようなことはしていない。馬鹿な連中である。悪い噂はすぐに伝わるが、それを誰が言っていたかというのも伝わってしまう。私はこれを逆に利用する場合もある。

今回の一言。 「企て(事業、プロジェクト)を実行するには、事前の準備と戦略が必須」

次回へ続く・・・・・・

インフラメンテナンス 総合アドバイザー

植野芳彦

PROFILE

東洋大学工学部卒。植野インフラマネジメントオフィス代表、一般社団法人国際建造物保全技術協会理事。
植野氏は、橋梁メーカーや建設コンサルタント、国土開発技術研究センターなどを経て「橋の専門家」として知られ、長年にわたって国内外で橋の建設及び維持管理に携わってこられました。現在でも国立研究開発法人 土木研究所 招聘研究員や国土交通省の各専門委員として活躍されています。
2021年4月より当社の技術顧問として、在籍しております。